高取町観光ガイド ■高取町観光協会・高取町ボランティアガイドの会

壺阪寺散策コース コースダイジェスト

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壺阪山駅 大正12年、当時の吉野鉄道が吉野口-橿原神宮前間を開通させた際に開業。現在は近畿日本鉄道吉野線となっている。
石畳の道
「土佐街道」
寛永7年(1640年)植村氏が藩主として入部後、山上の高取城では日常生活が不便なため藩主をはじめ家臣の屋敷は街道筋に移されました。そして次第に城下町が形成されていきます。今も古い町屋が残る石畳の道が、当時のメインストリート土佐街道。正面の山が高取城です。この石畳は、阪神大震災の復旧工事で出てきた阪神国道の路面電車の石畳を利用しています
町屋は、当時ほとんどが平屋で2階は屋根裏程度となっています。つし2階建てと呼ばれています。お殿様を見下ろさないという配慮からと言われています。窓には、連子格子が取り付けられ、このような昔ながらの町屋が今も街道沿いに続いています。江戸時代に迷い込んだかのような感覚を受けます。
街道沿いには下屋敷の門が移築されている石川医院があります。
城下町としての名残が随所に見えます。街道の両脇には水路があって火事の際には防火水に使えるよう水を堰き止める板をはめることが出来るようになっていたり、馬をつないでおく「駒止め」と呼ばれる金具が残っている。また、町屋と町屋の間の隙間には間者等が潜めないよう板張り(左写真)がなされているのも城下町ならではである。
夢創館 明治−大正の呉服屋で時代を物語る建物は、現在、町の観光案内所「夢創館」として利用されている。高取の特産品の展示販売、ギャラリーとして活用されている。脇のポケットパークには、昭和の俳人「阿波野青畝」の句碑もある。
札之辻
土佐町(土佐街道)から壺阪道への分岐点。一般的に「下町の三ッ辻」を「札之辻」と呼ぶ。

当時はここに高札が建てられ道行く人々に「お触書」等を掲示した所であった。

ここには、当時「釘抜門」があり、町屋と家中屋敷の区切りとなった。幕末には、ここに仮学問所があった。道端には、「右つぼさか・・・」と道しるべが残っている。(写真下)
お里沢市の墓 壺阪霊験記は、大和国高取郷土佐町に盲人「沢市」とその妻「里」の夫婦愛をテーマにした物語である。

信楽寺に奉られている。
壺阪寺参道 お里と沢市が、壺阪寺へ通ったとされる参道
壺阪寺 西国六番札所で建立は大宝3年(703年)、法相大徳弁基上人の開基で、京都の清水寺の北法華寺に対し「南法華寺」といい、長谷寺と共に古くから観音霊場として栄えた名刹である。

同寺のインドに対する社会奉仕の事業のお礼としてインド政府から贈られた大観音石像は高さ20m、石像としては世界最大である。

五百羅漢 本堂から1キロ余、山径を東へ廻ると高取山の山中、高香山に奥ノ院がある。堂字は残されていないが、五百羅漢両界曼荼羅の石仏像があり幽玄な趣が漂っている。
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